私たちの国。日本。 正江mokihana

2014年12月12日

 ♪ 君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  巌(いわお)となりて
  苔(こけ)のむすまで
入来町大宮神社は古代隼人舞の原形を伝承する神社で、神舞(神楽)が納められている。
神舞の一つの祭文に「君が代」の一節が出てくるので、君が代の発祥の地であるといわれる。
 
神道の心を伝えるから抜粋~
古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉。
日本神話に登場する最初の男女神は、イザナキノミコト「キ」、イザナミノミコト「ミ」であり、
「おきな=翁」「おみな=嫗」という言葉もあります。
イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、
日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。
その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。
「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。
つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。
二人は天つ御柱で出会い、キ「我、成り成りて、成り余るところあり」
ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」と声をかけあい、
互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。
ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。
「成り」というのは、完全に、完璧に、という意味です。
 
ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった。
これは矛盾です。余ったり、足りなかったりするのは、「完全」ではないからです。
完全体になったら、完全でなくなってしまったのです。
そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。
すると「子」が生まれたのです。
このことは、私達にとてもたいせつなことを教えてくれています。
神々でさえ、完全に完璧に成長してから、男女のまぐあいを持ったのです。
ましてや、神々の子孫である我々人間は、男女とも当然に完全に成長してから、
交合するものだということを教えているからです。
 
 つまり「きみ」というのは、男と女、それも「成り成りた男女」をあらわします。
男女が「なりなりた」ことは、本人たちに喜びがあるだけでなく、親や親戚、教師など、周囲の者たちの喜びでもあります。
そしてまた、「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象でもあります。
ですから「きみ」は、「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、おめでたい、相手を敬う言葉となったのです。
従って、「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の喜びであり、
「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。
その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。
 
ここまでだけでも、「君が代」とその背景となっている日本文化の素晴らしさがあるのですが、
歌はさらに「さざれ石の巌となりて」と続きます。
「さざれ石」というのは、正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。
細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。
 
 まさに「さざれ石の巌と」なることは、それこそ何千年、何万年という、とほうもなく長い年月を必要とします。
昔の人が、そんな地学の知識をもっていたかはわかりませんが、
日本では古来、人は生まれ変わるものと信じられてきました。
肉体は老い、死を迎えても、魂は再び人となってこの世に生まれる。
つまり、「さざれ石の巌となりて」は、「生まれ変わって何度でも」という意味としてもとらえることができます。
そして忘れてならないのは、さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となっているという点です。
ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力でみんなで団結したら、それは大きな「巌」となる。
つまりさざれ石は、「きみ=男女」の結束、そして生まれて来る子供達や新たに親戚となる者たちなど、
そのすべての人々が、大きな力のもとで固く固く団結しあい、協力しあうことの象徴でもあります。
 
そして最後に「君が代」は、「苔のむすまで」と締めています。
 
 【苔のむすまで】 むすとは天地に最初に現れた3柱の神のうちの2柱、タカミムスヒ­、カミムスヒのムスを指します。
タカミムスヒとカミムスヒには性別はなくムスと言う字にコがつく­と『ムスコ』になりメが付くと『ムスメ』となります。
また、『苔のむす』のむすを漢字で書くと『生す』と書き、生すと­は子供を養い育てると言う意味があります。
つまり、苔は永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が­誕生し、
古いものが死に土となり徐々に広がりをみせます。
子孫繁栄を示しているのです。 日本の神道の中心にあるのは生むではなく、育てるということ。
苔の生すまでとは、古いものが土となり、新しいものを生み、育て­繁栄しましょうという意味なのです。
すなわち「苔」は、「きみ=男女」が、互いにしっかりと結びつき、一緒になって汗を流し、
涙を流し、互いにしっかりと協力しあい、長い年月をかけて生育する。
それは、男女のいつくしみと協力を意味します。
ですから君が代は、
「きみ」=完璧に成長した男女が、
「代」=時代を越えて
「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、
「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう
そんな意味の歌である、ということになります。
戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。
人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです。
そんな歌が、いまから千年以上前に生まれ、たいへんにおめでたい素晴らしい歌として、
勅撰和歌集にも繰り返し掲載され、江戸時代には庶民の一般的な祝いの席の謡曲として、広く普及していたのです。
千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれる歌を、
我が国の国歌としているということ自体、すごいと思うし、さらにもっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、
その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、
私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。
 
ちなみに1903年にドイツで行われた「世界国歌コンクール」では、
「君が代」が一等を受賞したそうです。
 
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